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陽々

1期生~3期生のお話:Tさん

★聞いた日:10月10日 ★お話してくれた人:Tさん ★聞いた人:小学校5年生1名、3年生1名、大人1名

・じゃくずれ川

・草のわな作り

・給食はない

・せんかの教室もない

・虫がたくさん

・素手

・雑木林

・田畑 トマト、きゅうり、とうもろこし

・せんそう ねらわれにくい

・せんそうがあったから弦小ができた

・木の上の小屋

・あなのひみつきち

・同い年、友達

・ハチ

・屋根に巣

・はちの巣とり

・ランチルームの屋根くらいの高さからとびおりる。こっせつ。けが。あかちょうちんで治す

・竹田たけふみ

・けんちくか

・川 5~6人

・すなぼこり

・むすこ、川でおぼれて死

・校舎下、防空壕

・弦小かみなり、あな、停電

・水・がす、なし

・あそぶこと、タンチ山→こま中 雑木林

【Tさんのメモ(抜粋)】 弦小が出来たころの話

・創立時は、駒沢小、桜小、深沢小の1年~3年が来て、弦小の1~3期が出来た。

・当時の校庭は草ぼうぼうだった

・弦巻通りの緑道は、蛇崩川。小さな小川でエビ、エビガニ&ドジョウが良く取れ、鬼ヤンマやシオカラトンボ、◎◎まるなどがいて、トンボ取りをしていた。

・笠置しずこさんのアパートより蛇崩川の方は、タンボだった。

・弦巻通りは、大雨が降ると通りは50cm以上も水浸しになった

・向井潤吉画伯の住んでいるところは、タンチ山といって、カブト虫やサイカチが良く取れた。私は、朝5時起きして良く取りに行き、1日に10匹以上も取っていた。

・同潤会の戸建て住宅が同潤会アパートの次に弦巻に建てられた。

・弦小のまわりは、トマトやきゅうりじゃがいも畑だった。

・駒沢通りの西側は農家や植木屋さんが多く、弦巻中はなかったので、私達は、国民学校の1期生、新生中学校の1期生で、桜木中学校の1期生として今の◎◎学園の上にあったーに通った?

・笠置シズ子さんは、毎年1回、春に大宴会をやっていたので、そこに美空ひばりさんなども良く来ていた。笠置さんの娘さんのエイコさんも弦小の卒業生だった。

・弦巻中が出来てからは、卒業生は桜木中には行かず、弦巻中に行く様になった。弦中には、深沢の講堂学会から、柔道に強い子どもたちが来て、オリンピックで活躍した古賀選手や大沢選手も輩出して、全国的に弦巻中学や世田谷学園として有名になっていた。

・同じ2期生のお父さんも戦前は潜水艦隊のトップ(将軍)として有名だった。







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